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笑顔になれる何かを探して。 フィギュアスケートとV6をこよなく愛しつつ、忙しい日常の中で見つけた様々な事を語ります。

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「ブエノスアイレス午前零時」観てきました

パルコ・プロデュース
ブエノスアイレス午前零時
公演日程
2014年11月28日 (金) ~2014年12月21日 (日)
原作
藤沢 周
「ブエノスアイレス午前零時」(河出文庫)
脚本
蓬莱竜太
音楽
coba
演出
行定 勲
出演
森田 剛/瀧本美織 橋本じゅん、千葉哲也、
中村まこと、松永玲子、
松本まりか、村木 仁、川原正嗣、伊達 暁、
岡田あがさ、万里紗、竹口龍茶、
JIL Entertainment Gallery/原田美枝子
第119回(1998年)「芥川賞」受賞作、あらゆる世代の
支持を受け続ける藤沢周のベストセラー小説がついに舞台化!
行定勲が長年温めていた舞台化プランが蓬萊竜太の脚本によりこの冬ついに実現!

主演カザマ役には、数々の名演出家と共演してきた「森田 剛」が初の1人2役に挑戦。
ミツコ役には、今回が初舞台となる「瀧本美織」、マリア役には「原田美枝子」が決定!

森田剛演じる都会からドロップアウトし、山奥のホテルで働く青年「カザマ」。その「カザマ」が働く温泉ホテルに社交ダンスツアーの客として来た老嬢マリア(原田美枝子)。彼女が語る、アルゼンチンのブエノスアイレスでの娼婦“ミツコ”(瀧本美織)としての過去。
孤独な青年と盲目の老嬢、孤独な2人の運命的な出会い…。
老嬢の瞳の奥に宿る思い出は、現実かはたまた幻想か。
男の中で、忘れかけた希望とパッションが、走馬灯のように甦る。
雪国の温泉街のホテルと、ブエノスアイレスの酒場が交錯する。
老嬢マリアの語りで紡がれいく二つの世界。
二人がタンゴを踊る時、真夏のブエノスアイレスに切なく美しい雪が降る…




新国立劇場・中劇場で上演されている「ブエノスアイレス午前零時」を観劇してきました。
原作は読んでいなかったので、そのまま読まずに初日にまず観劇、その後も幾度か足を運び、今回は千秋楽はチケットが取れず、今日自分的楽日を迎えましたので、レポとまではいかないですが、観劇の感想を書いておこうと思います。


まず、私は舞台化や映画化が決まった時点で原作を事前に読んでいなかったら、あえて初見までは読まないことにしています。出来るだけまっさらな感覚で感じたいと思っているからです。
ですので、いくつか報道で出されていた情報だけを胸に初日を迎えました。だから原作で明らかにされていたりすることがあったとしても知らないままに観たことになります。このエントリーは舞台から受け取ったものをそのまま書きます。

それから、このエントリーは後日読み返しても舞台のシーンが思い出されるようにかなり具体的に描写しておこうかなと思いますので、未見の方はお気を付け下さい。

追記よりどうぞ





*****

舞台は2幕構成。
現代のホテルパートはおよそ2日間、過去というか昔話と夢の中のブエノスアイレスパートは数年間の時間で話が展開しています。

1幕はカザマがホテルでマリアと出会い、ニコラスという男の話を聞き、ホテルに兄のキクオがやってきて最後にキクオへの疑惑が湧き上がるまでと、ブエノスアイレスでカザマが店の前で拾った(拾うシーン自体は2幕冒頭で展開)ミツコを男たちから庇いボスのマルコーニに面通ししたところ、ミツコはボスの女になり、”上”で待ってると約束をする。ある日ボスにミツコとの仲を疑われて争いとなり、ミツコがニコラスを助けるためにマルコーニを殴って死なせたと思ったところにフアンが入ってきて目撃され、隠滅しようとしたところで実は死んでいなかったマルコーニが襲いかかってフアンがナイフで刺し殺す。その身代わりになることを自ら申し出てニコラスは警察に出頭するところまでがいったりきたりしながら話が進行する。

2幕は冒頭にニコラスとミツコの出会いのシーンが描かれ、ニコラスがミツコを「まだ子供じゃないか」と言い娼婦にさせまいとする様子が提示される。
ホテルはダンスパーティが行われる日で、竹村が必死にこのホテルを回していこうとする姿とダンスパーティでのトラブルと、ブエノスアイレスではマルコーニが死んで数年後、フアンが新たなボスとなりミツコはマリアとなってフアンの女になっていて、そこに多額の保釈金(実はミツコが自分を担保に出した金)をフアンが支払い出所してきたカザマが現れ、ミツコがマリアとなっていることに戸惑い、抗って最後に抜け出そうとする姿とが複雑に絡み合って展開する。




舞台は暗闇から始まる。雪がちらちらと舞い降り、それは静けさと寂しさを内包した空間を作り上げる。照明に浮かび上がる男が奈落へと開いた穴からゆっくりと紐を手繰り、かごを引き上げる。かごには黒い温泉卵が入っており、軍手をはめた手でゆっくりとそれを移し替える。奈落から湯気が立ち上ることで、その卵だけが温かさを持つことが想像出来て、それが何かの象徴なのではないかと思わされる。
杖をついた盲目の老婆が下手から現れる。温泉卵の硫黄の匂いから彼女はマッチが燃える匂いを連想し、昔ブエノスアイレスで過ごした過去の事を話し始める。
タンゴのメロディが流れ、4組の男女がタンゴを踊り、舞台上を流れるように動いていく。舞台の遠く奥に浮かび上がるオレンジ色の空間。シルエットで踊る誰か。
それはあまりにそれまでの寒々しい黒い空間とは対照的で、全く別世界が突然現れたように感じる。盲目の老婆が話す世界はあまりに遠く、違う世界なのだと見せつけられている。

しかしセットが動き、奥から近寄ってきたブエノスアイレスの場末の酒場はいつかしかとあるホテルのロビーへと変化していく。

「カザマ」は新潟と福島の県境にあるさびれたホテルで働く従業員。仕事は掃除と温泉卵を作ることくらい。ひたすら下を向いて床をモップで磨いている。大手の会社で働いていたが実は仕事で失敗して生まれ故郷に戻ってきており、鬱屈とした何かを心の中に抱えているのだ。

盲目の老婆「マリア」はダンス団体の一人で、客としてホテルにやってきており、カザマと出会う。ひたすら床を見て働くカザマ、そこに自分の昔の想い人ニコラスの影を重ねあわせているのだ。マリアが語るブエノアイレスの情景の中でカザマはいつしかニコラスとなり、ホテルはブエノスアイレスの港町ボカの娼婦の居る酒場となり、そこにマリアの若い頃の姿、ミツコが現れる。

話はホテルのある日本と、昔のブエノスアイレスの酒場を行き来する形で進行します。始めのマリアの昔話が始まるとセットが大きく変わる。ロビ―の壁が飛ぶ(上にあがる)と酒場の椅子や机が現れ、ロビーのソファは酒場のソファになり、ホテルのフロントは酒場のカウンターとなる。
カザマはニコラスとなり、その世界で動き出す。

はじめ、事前の情報として出ていたのが剛くんが二役をやるというものだったので、このブエノスアイレスのシーンは過去を違う世界の話として見せるように進行しているのだと思って観ていました。しかし途中でそれは違うことに気づきました。
初めてブエノスアイレスに来た時、カザマはホテルの法被を脱がされ、ドット柄の黒シャツに黒いズボンになりニコラスになります。そこからカザマだけはほぼこの同じ姿のままニコラスとカザマを行ったり来たりします。
一方、ブエノスアイレスシーンにおいて老婆のマリアは影のようにフラフラと動きながらも誰にも見えない存在ながらそこに居ます。ミツコは時に老婆から出されるセリフを被り同一人物であることを主張しながらも日本のホテルには現れません。というよりもミツコが現れるとそこにいるのはカザマではなくニコラスになるのです。
そしてブエノスアイレスの世界に出てくる登場人物はすべて見たことのある人物。ホテル支配人の竹村はマフィアのボスのマルコーニに、カザマの兄のキクオはマフィアNo2のフアンに、マリアのヘルパーのヒカリはミツコの姉のような存在のラウラに。その他の人物もすべてホテルの従業員や客たちで、それも何となく同じようなキャラクターとして動いています。

つまりブエノスアイレスのシーンはマリアの昔語りに引き込まれていったカザマの夢、妄想のシーンでもあるのです。舞台は進むにつれて、マリアの語りとしてのブエノスアイレスがカザマの夢と重なって段々と境界線がなくなり、最後は混じっていきます。
マリアの話を自分の周りの人間を当てはめて感じ想像していたカザマはいつしかニコラスとなってそこに存在していくようになり、そしてブエノスアイレスの話が現実のホテルで起きている話と区別がつかなくなっていくのです。それが様々なことで表現されています。
大仰に動く舞台、奥行きフルに使って、はじめは明確に変わっていた酒場とホテル、登場人物も衣装を変え髪型を変え、別人として登場してきますが、後半に行くつれてその境界線であった壁が透けたり、現実のシーンを手前に展開しつつ、奥に同時にブエノスアイレスの酒場が遠景のように存在していたり。
始めはブエノスアイレスの片隅にずっと存在していたマリアが後半ではいなくなるシーンが増え時折袖から飛び出すように出てきたり。


途中でカザマはマリアのヘルパーのヒカリに言われます。
「気を付けないと取り込まれるよ、ああいう人は惹きこむ力が強いから。私はもう取りつかれてる。嫌な思いさせられる事がたくさんあるのになぜだか離れらんない。」

この話はマリアの語りによって進んでいっているようで、実はカザマの夢が中心に据えられた話なのです。そして、カザマが老婆マリアと出会ってその夢に見た事によって最後に大きく一歩を踏み出す話なのです。

カザマは大手と呼ばれるような会社で大きい仕事もこなしていたのに、たった一つの失敗をプライドから修正できず全てを捨てて逃げるように故郷に戻ってきて、自分を見失い死んでるような日々を送っていた。ニコラスは床を這うような仕事であってもそこから上を太陽を見上げ睨んでいるような人物で、そのニコラスがカザマに入り込み、ミツコを関わって最後にミツコの献身的な犠牲の愛物語を受けたことで、カザマもまた変わり、迷いを受け入れて上を見るようになる。

成長、変化、愛、犠牲、献身
いろいろなキーワードが交差しますが、私はこれは誰もが内に持つ「迷い」を見せつける話だと思いました。
常に自分がわかっていたり思うように生きたりなんて誰しも出来ないし、周りが見ている自分は自分の一部分でしかなく、自分自身さえわからない。でもどこかで自分を思い通りに誇示して思うままに行きたいと思っている。しかし周りには多くの関わる人間がいて、自分が見ている相手もその一部でしかないのに、相手を自分と比べてたりわかったようになっていたりして、その中にいつしか溺れ穴の中でもがいている。
一歩その穴から出るには自分の中の何かが変わるしかない。

穴から出される温泉卵、
相手がくるくると変わる社交ダンス、
暴力と紙一重のアルゼンチンタンゴ、

劇中、ブエノスアイレスの世界では男たちは何度もナイフを飛び出させ戦います。それはとても激しく、乱暴ですが、そこには男たちの表に出される意志が伴っているように見えます。
ニコラスも始めは大人しく床にばらまかれたお札を拾うような三下ですが、突然感情を爆発させたときはナイフを出して抗います。そしてミツコのために動き出した感情では次第にナイフの使い方は変わる。
最後にミツコと逃げるためにフアンと戦った時のシーン、そこがタンゴを踊るように戦っていたのがとても印象的でした。

アルゼンチンタンゴは元は男同士のダンスでもあり、激しいぶつかり合いのようなものだったという話を思い出しました。(ちなみにそれを知ったのはアボット選手の2010-2011シーズンのSP「ビエホス・アイレス」の衣装が半分片袖のデザインだったからです。これは素晴らしいプログラムなので是非見てほしいです。)

ラストに竹村がカザマに「ここ(ホテル)にいるならダンスは踊れるようになってね」といい、カザマは「男の…義務ですからね」と返す。それに対し、竹村は「あ、カザマくんは、もう踊れるのかな」と言います。
このシーンでは、竹村はマルコーニがブエノスアイレスでやっていた同じ仕草と同じセリフ(誰かを気にして辺りを伺い「内緒だよ」)を言います。よく考えると竹村のこの仕草って単独で考えるとこのシーンでやるのはおかしいんだけど、そこはマルコーニがニコラスに心を開いた瞬間のシーンだったので、あ、竹村はカザマに心を開いたんだと思いました。

そして一人になったカザマが雪の中で躍り出すタンゴ。
そこはミツコとニコラスが最初に踊った時のようなぎこちなさが無くなり、踊りを自分のものにしたカザマがいる。

タンゴは男が一つ変わったことを表すツールなのかなと思いました。
そうなると、一人踊るカザマのシーンはあまりに画になっていて、美しく、泣けました。
そこをダンスで魅せてしまうのはさすが森田剛ならではと唸りました。高いダンススキルを持つ彼だから成り立つシーンです。

タンゴの一つの型としては完全に完成されていないかもしれないけど、そこには自分の内から出るもので四肢を動かすカザマの姿があり、ダンスは本来身の内から湧き上がるものから生まれたもので、人間の感情と密接でありそれを表に出していくことから生まれたものだという舞踊の原点を思い出しました。

ミツコは劇中では愛に身を献身的に捧げる女性として描かれ、カザマはマリアを通して現実では逢えないミツコとの恋を経験し、変わっていく。
それが最後に3人で踊るタンゴシーンに集約されているように感じました。二人の女性と入れ替わり立ち代り踊られるタンゴ。最後にマリアとミツコが重なり、そしてマリアは終わらせてくれとカザマに頼む。カザマがナイフを一線に引くと、ミツコの目は見えなくなり、ミツコは「私は幸せね」と噛みしめるように言う。
このシーンは難しく、私の中ではまだ答えが出しきれていないのですが、ミツコに対してはカザマは救いを与えたのだと思いました。マリアに対してはどういうことなのかなと考えています。

ただ、このタンゴのシーンで「あなた笑わないのね」という老婆のマリアに対し、「俺は笑うよ」と答えるシーンが好きです。「笑わない」「笑う」との応酬、声が甘くて…震えがきました。

マリアそしてミツコという女性との関わりと共に、この話え重要なのが兄のキクオと上司の竹村との関わりで、マリアとの出会いがきっかけであるならば、カザマの迷いの面を象徴的に見せているのがこの二人の存在なのだなと思います。

終わりに竹村と話す時、カザマが言う「迷いながらここに居ていいですか」というセリフ。
人の生き方に迷いがあることを当然なのだと思いいたらされた気がしました。
上を、先を向きながらならば迷っていいんだよというメッセージを言われたように感じました。
それが大きなテーマなのかなと考えています。

次のエントリーでは、いくつかのキーワードをあげてもう少し掘り下げてみようと思います。

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  • 2014.12/24 20:13分 
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