Believe your smile

笑顔になれる何かを探して。 フィギュアスケートとV6をこよなく愛しつつ、忙しい日常の中で見つけた様々な事を語ります。

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「ブエノスアイレス午前零時」観てきました その2

このエントリーではいくつかキーワードを取り上げて私なりに考えた事をまとめてみます。

その前に。
バレエ、ダンスが専門な私ですが、演目が同じで期間で上演される舞台をその期間中に数回見に行くようなことはそれほど当然の行為ではありません。自分の観劇履歴を漠然と振り返ってみてもバレエやミュージカルなどが割と高い比率を占めてるだろうと思いますが、それでもある劇場ある期間に連続している舞台に数度足を運んだりすることはあまりしてきませんでした。それをやったのはレミゼくらいです。あとはバイトで上演期間中ずっとドアに貼りついてたKARASの舞台くらい。
演劇の舞台は高校生の頃に夢の遊眠社(野田秀樹さんがやっていた劇団)にハマったことで行くようになりましたが、同じ演目は最高2回観たものが二つくらいあるだけ。一期一会と思っていたし高校生や大学生では(いくら遊眠社でもまだ単価のそこまでいかない時期ではありましたが、それでも)経済的にそれがまあ普通だろうとは思います。
それなのに。ここ最近、特にV6のメンバーの舞台に行くようになってからは天地がひっくり返ったのかというくらい複数回見たい病になっていて困ります。映画やドラマなどはいくらでも見返すことが出来ますが、舞台はナマモノ、足を運ばなければ観られません。それも、映像は変わっていかないけど、舞台は変わっていく、さらに新作ものというのは日々変わっていったりする。幕が開き、お客さんが入ったことで生まれる化学反応がある。
その当たり前なことにとうとう気づいてしまった。うわーしまった。やばい、沼だ。ズブズブ………。

それも、基本演者を見るのが何でも好きな性分なので、好きな人が出ている舞台は複数回でも観ていられるし、つまり観たい。それから演出や振付の仕事をしてることもあって、舞台で見たいものが多すぎるんですね。初見の時はそれはそれは眼だけは忙しく動いてるけど、頭のキャパは無いので収めきれてないんです。
というわけで贅沢だし普通の見方ではないのは百も承知で、そんなことまで観ていられるかと思われるのも覚悟で、つらつら書いて行こうと思います。

追記からどうぞ





****


温泉卵
最初のシーン、途中のシーン、最後のシーン、奈落に開いた穴ともに登場するシーンは3回あります。
最初のシーンはマリアとの出会い、温泉卵を欲しいと言われて差し出すと、マリアに卵ではなくて腕を掴まれる。これがマリアに取り込まれるきっかけ。
途中のシーンはマリアの語りとカザマの夢が混濁し始め、カザマ自身がとまいどい始めるシーン。「すみません、わからなくなってきました…途中から自分が話を作っているような…」この時のカザマは法被の上に上着を羽織り、帽子をかぶって長靴を履いて・・・というスタイルではなくてニコラスの姿のままである。
最後は竹村とのシーンからのラストで。
竹村が一瞬温泉卵を2つ、手に握り、ブエノスアイレスでも言った言葉「内緒だよ?」と言います。
秘密の共有したようなその言葉は、カザマの鬱屈した想いを竹村に少し開いて見せた、二人が心を通い合わせ始めた事を表すのなと思いながら観ていました。


その他に、最後のダンスホールにマリアが持って現れ、そこに田中(レオ)がぶつかってきてその卵は床に落ちつぶれ破片が飛び散る。田中や竹村の奥さん千枝子が怒り周りも声を荒げて、マリアは謝り続ける。そこにカザマが「いいんですよ!」と制して入り込む。「こんなのは拾えばいいんですよ、何でもないことです、簡単なことですよ、新しいのお持ちしましょうか?」と問いかける。
温泉卵が象徴するものはカザマの心に鬱屈した何かであり、物語の間、温泉卵の穴の前でカザマは自分の心の中の闇を覗き込むように穴の横に立ちます。
この卵が壊される、という出来事が起きた時、カザマの口調がニコラスのそれになっていて、鳥肌が立ちました。



美織ちゃん
美織ちゃんはこれが初の舞台だったそうですが、そうとは思えないほど存在感のある演技を見せてくれました。初日はいろいろなことより何より、美織ちゃんのポテンシャルの高さにびっくりしたと同時に感動していました。ミツコはブエノスアイレスパートにしか登場しませんが、男勝りのような少女が2幕では娼婦のマリアとなりまたラストに向けて献身的な愛に生きる純粋な存在となる。マルコーニの女となってからは男たちとタンゴを踊りながら次々と相手を変えて舞台の上を動き回るシーンが何度か登場しますが、物語が進むにつれてその踊りが段々と変化していくことに思わず唸りました。
特に背中の使い方の違いが、2幕のマリアである時とニコラスに恋したミツコの部分が出てくる時とでは変わるので自然と心境の変化を感じ取ることが出来る。計算かもしれないけど、背中をあれだけしっかり使うことはそう簡単に出来る表現ではないので、実はすごく踊れる?と、ちょっと調べてみたらダンスは幼少からやってたそうですね。それでも意識的にしろ細かく演技の中で変わることはすごいなと思ったし、無意識だとしたならこれまた演技派としての才能を見た気がしました。
今後の活躍が楽しみです。

ミッドナイトブルー
下手の扉奥のライティングがブエノスアイレスシーンだとミッドナイトブルーに、現代パートだとオレンジになるところがあって、照明について考察したかったのですが、ミッドナイトブルーだと思ったのが結構後だったので記憶に留める前に観劇が終わってしまった。何か気づいた点があったらぜひ教えてください。
舞台横花道からの照明が二度ほど不自然にチカチカと点滅(昔の電球が切れるみたいに)してから消えたのですが、浮浪者のシーンともう一つどこだったっけかなー?

広告のキャッチコピー
「夢まみれの人生がやってくる」「頑張ってるの知ってるよ」
カザマが広告代理店時代にした仕事で、かなりヒットしたCMのキャッチコピーという設定。
カザマの潜在的な欲求を表した言葉として出てくるのかなと。
後半にカザマともニコラスともわからなくなってきたあたりで死んだはずのマルコーニが亡霊のようにあらわれてこのセリフを言いますが、人に認めてもらいたいカザマと見てくれるとしたら竹村のような人だというカザマの視点がわかるシーンかなと思います。反発して夢の中でもニコラスは殺してしまうんですけど。

兄のキクオと上司の竹村、フアンとマルコーニ
二人はカザマの迷いを突いたり方向を提示する存在です。
兄のキクオは前を向き自ら切り開き進む人物で、カザマにとっては目標のような、壁のような存在。
キクオがカザマの前を歩き、何でも自分より優秀な存在でカザマは劣等感を抱きながらこれまで生きてきたんだろうなと想像出来る。その一方でそういう強い生き方に憧れを抱いているのも、ブエノスアイレスパートのフアンの造り(カザマの造った像であるので)を見ているとわかる。
1幕の終わりから2幕にかけて、母親からの電話でキクオが会社が倒産して借金がたくさんあるらしいということがわかり、ホテルのお金を盗んだのがキクオかもしれないとなり、それがずっとうまく生きてきたキクオという存在の像が一度カザマの中で崩れる。
1幕の最後でフアンに憧れて罪を被ることにしたのに、キクオへの疑念がブエノスアイレスシーンと混じり、フアンへの疑念と重なるところの演出見事だと思いました。

ぶつかる二人のシーンではカザマは初めてキクオに対して違った目で見てしまい、「そんな目で見るな!」とキクオは苛立ちを見せる。
それは微妙にブエノスアイレスのフアンに対しての気持ちとも重なり、ミツコの告白を聞いたところで壁のようだったフアンは乗り越えられるかもしれない存在となっていて、そこで破ろうという行動につながってくるが、しかしダンスパーティの中でフアンと闘いつつ打ち破れないまま、フアンはキクオとなり、キクオの言葉を聞き、その存在が象徴するものはまた始めの越えられなず追いかけるような存在へと戻る。

対して竹村は人生にあちこちぶつかりながらもがいて生きているのを見せつける存在。

カザマは兄を越えたいと思い立ち向かうが敗れてしまうのだが、竹村に救われる。
最後の温泉卵のシーン、竹村がカザマにここを出て行くか聞き、カザマは一瞬クビになのかと戸惑う。しかし竹村はこのホテルはふさわしくないといったような事を言う。
ダンスパーティの後(タンゴのシーン)のカザマの様子は描かれてはいないが、竹村の言葉からカザマが少し変わり、寂れたホテルには少し似つかわしくない存在になりつつあるという事が想像される。
しかし、カザマは出て行くのではなく、「迷いながらここに居てもいいですか?」と竹村に許しを請う。
それに対して竹村は嬉しそうに「俺と同じだ」と言って、温泉卵を二つ手に取りながら二人だけの秘密だよと言う。
一足飛びに上を目指したニコラスでもなく、すべてに失望して日常を放棄しながら生きていたマリアと出会う前のカザマでもなく、
竹村にカザマは自分と同じさを感じて、迷いながらも生きていいのだと結論するのだ。

花札と出会い
2幕冒頭にミツコとニコラスが酒場の店の前で出会うシーンが描かれますが、実は後半にこれはミツコとニコラスの出会いとしては二度目であることが明かされます。幼いころから船に乗って必然的に娼婦として生きてきたミツコは一度船に乗ってきたニコラスと会っている。しかしニコラスはミツコを娼婦扱いせずにトランプで一晩中遊び、幼いころから娼婦として生きていたミツコはそれによって心が救われたと感じ、ずっとニコラスに会いたいと願っていた。ブエノスアイレスの港ボカでニコラスを見かけ船を飛び下りこの酒場にやってきたのだということを明かす。
一度目も二度目もミツコはニコラスに花札を見せているが、ニコラスは同一人物とは気づかない。ひどい男だ。
しかしミツコがマルコーニの女になることが決まってから花札遊ぶシーンでなんとも言えないくらい優しい笑顔のカザマがいて、花札を掲げて「綺麗だ」と発したそのシーンは純愛以外の何者でもなく、切ない気持ちになりました。(確か、老婆マリアがここで「時が止まればいいと思ったんだ」といったようなことを叫んだと思うけど、詳しいセリフ誰か教えてください)

笑顔
最初のシーンで老婆マリアがカザマの手を取って「あなた笑わないのね」と言いますが、カザマは答えずその後にマリアは「ブエノスアイレスの男は笑わないのよね」と続けます。
ニコラスが花札のシーンで見せる笑顔と、ラストにカザマが雪の中一人で踊るタンゴでの笑顔は似ていると思う。
ニコラスがフアンに殺人の肩代わりをすることを申し出た時に笑うのは全く違う笑いで、フアンが「お前なぜ笑う」と言うとニコラスは「俺…笑ってます?何だかわからないけど生きてるって感じがするんです!」と狂気の笑顔を見せる。
後半途中のカザマの夢のシーンで浮浪者と争いになるシーンでは浮浪者に「ブエノスアイレスの男は笑わなきゃ」と言われます。
笑い、笑顔、これだけいろいろと出てくるのですが、少しずつ意味合いは変わってきているのかなと言う気がします。
特に浮浪者に憤らされるシーンは大きいきっかけでもあり、その後カザマはこれがマリアの昔話ではなく自分の想いが反映された夢であることにうすうす気づき始め、そこから夢の中でミツコを助ける行動を起こすという変化につながります。
そして最後のタンゴシーンへとつながり、マリアが「あなた笑わないのね」と冒頭で発した言葉を再度このシーンで繰り返します。カザマの答えは変わりました。「俺は笑うよ」
踊りとともに語られる言葉にグッときました。この時の剛くんの声があまりに優しくて本当にすごくすごく心に響きました。全体の中で一番好きなセリフです。


森田剛を舞台俳優として傑出させた一つの要因として、彼の声が挙げられると私は思います。とにかく声の響きが良く、どんな場面でも埋もれることがない。声の質とこれまでの彼の努力もあるかとは思いますが、どんなセリフもしっかりと聞き取れる。どんな角度でも大きくても小さくても。
舞台ではこれは何物にも変えがたい大きな武器です。
V6の歌を聞いていてもものすごく感じることですが、剛くんの声には感情の色を含む響きがあります。いのっちもそうです。だから私の中でこの2人は完全に憑依型演技派だと考えています。
(最近は岡田くんもかなり。坂本くん、長野くん、健くんは技巧派と思います。ところで、ドリコレのCM撮影で監督にいのっちと剛くんの演技が不自然と怒られたというエピソードを聞いて、二人は入り込むタイプなので逆にこういう普段との差があまりにもないシチュだとぎこちなくなっちゃうのかなと思いました。)
剛くんの声はこの武器によってラップでもものすごく自然に耳に言葉が入り込んできます。私はラップをこれまであまり好まなかったのですが、剛くんのを聞いてかなり驚き、考えを改めました。ラップだけではなく、バラードでもその他の曲でも声が音に物語を与えるのです。舞台俳優として彼を知った人にはぜひV6の歌を聞いてほしいと思っています。だから歌い上げるようなところはもしかしたらあまり剛くん向きではないのかもしれません、でもV6にはそこを担える最強のスターがいますからね。
余談、そしてかなり私情ですが、最新シングルの通常盤に収録されている「君がいない世界」、冒頭から1分以上剛くんのソロが続くバラードですが、この歌い方がかなり独特で、それがレコーディングディレクターの指示だったらしいのですが、私としてはここまでしなくても剛くんはかなり感情を乗せられるのに余計なことしてくれたなと思っています・・・。


転換
舞台の転換について…迷ったけど書きます。
新国立の度が過ぎるほどの奥行についてはオペラハウスでバレエ観てた時も興ざめした気分になったことがあって、それからちょっと新国のバレエは食指が動かず拝見してないのですが、今回中劇場のここで同じ気分になるとは思わなかった…。
舞台を観に来る意味は、そこの空気感と臨場感と役者の息使いまでも聞ける生物感だと思うので、あまりに遠くで展開されるものはテレビで見るものと変わらなくなってしまう(それもテレビと違ってアップにならないのでたちが悪い)。なので転換が前後に余りに動くので初見ではうるささが先行してしまいました。特に初日は一番後ろだったのもあって、尚更強く感じたのかもしれない。
また座席が扇型にあるので、上手側のブロックだと、奥行が在る分全く見えないところが多いのもいただけないと思う。
それもカウンターの後ろの壁が回るのはいらないんじゃないかなーと最後まで思っていました。上手に座っていると何も見えないのに転換の時だけ壁の一部が回ってるのが見え、動作音は壁を伝わってやけに大きく聞こえる。正直芝居を邪魔してたと思いました。
センターブロックで見た時はそこまで感じなかったので難しいところですが、でも見切れ席多すぎなんじゃないかな(それも値段一緒だし)。劇場としてこれってちょっとあまりうまくない造りではないでしょうか。
前後の転換については話を消化してみてみると二つの世界が徐々に混ざっていく感じが出ていたので、演出としてなるほどと思った点も多いのですが、壁については他にやり方があっても良かったなと思っています。それくらい見切れと音のうるささが悲しかった…。

いろいろと書いてしまいましたが、考え始めるとすごくいろんなところがこうだったのかなああだったのかなと想像で遊べて、すごく見ごたえのある舞台でした。
他のキャラクターたちもそれぞれの役者さんたちがたくさん想像して作っていってるんだろうなと思えるくらいそれぞれが立っていて、それもホテルパートとブエノスアイレスパートでは微妙に違うところを絶妙なさじ加減で表現していて見比べるのも楽しかったです。特に橋本じゅんさんはマルコーニと竹村が一見全く違うキャラクターのようで実は似通った二人というところをだんだんと表現していて納得させられてしまう。マルコーニが死んだあとのシーンえ竹村が「なんかお腹も痛いし(マルコーニが刺されたところ押さえながら)」という初日には無かったアドリブを加えてきたところに役作りの本気を見ました。

しかし心身ともに大変そうで、剛くんも美織ちゃんもどんどん痩せていって観ていてツラかった…あと大阪公演が残っていますが無事終了しますように。



さて、さっと読んで封印したプログラムと原作を熟読してきます。
どれくらい理解できてたかな?深読みしすぎかな?ちょっと不安です。

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フィギュアスケートの大ちゃん、あっこちゃんを中心に日本選手を応援しています。

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